災害医療
災害医療における「災害」
災害医療では、多数の傷病者が同時に発生する状況への対応が前提となる。ここでいう「災害」は出来事そのものではなく、その結果として社会や医療体制に生じる異常状態を指す概念であり、この理解は多くの研究者に共通している。
医療分野では、状況の規模や影響を表す用語として、次のような言葉が用いられる。
多数傷病者発生事故(Multiple casualties)
大事故(Major incident)
集団災害(Mass casualties)
大災害(Major / Mass disaster)
これらの用語は実務上しばしば混同されるが、被害規模と医療体制への影響の程度によって区別される。
多数傷病者発生事故や大事故は、発生範囲が比較的限定されており、負傷者数や重症度も地域の医療施設で対応可能な場合が多い。これに対し、集団災害や大災害では被害範囲が広がり、医療能力を超える状況となるため、外部支援が必要となる。
さらに大災害では、地震や戦争のように医療機関を含む社会インフラそのものが破壊されることがあり、この点が集団災害との重要な違いとされる。
一般社会では多数傷病者発生事故なども「災害」と呼ばれることがあるが、地域の医療資源のみで最終的に対応可能な場合は、災害医療の枠組みでは災害と定義されないことがある。災害概念は被害規模ではなく、医療資源との関係で判断される点に特徴がある。
災害医療の課題
災害医療の中心的な目的は、「救うことのできる命を救うこと」にある。
阪神・淡路大震災では死亡者が6,434人に達し、その内訳は直接死が5,500人以上、関連死が900人以上とされている。直接死の約9割は発災直後に発生したが、残る約1割は、救助や医療が適切に行われていれば救命できた可能性があったと指摘されている。
この経験を踏まえ、災害時には多数の負傷者発生を想定した救急医療体制の整備が進められてきた。今後も、救出・救助体制や医療支援体制の強化が課題となる。
また、大規模災害では多数の死者が生じる可能性があるため、死体検案体制の整備も重要となる。災害時であっても死者の人権は尊重されるべきであり、死後の法的取り扱いは可能な限り平時と同様に行う必要がある。
特に重要なのは、身元確認と死因の究明である。
身元確認では、容貌、身体的特徴(体格、手術痕、入れ墨、ピアスなど)、着衣や所持品のほか、レントゲン写真、歯科治療痕、指紋、足紋などが手がかりとして用いられる。必要に応じて血液型検査やDNA検査も行われる。
しかし、遺体の損傷や焼損、腐敗が進んでいる場合には確認作業が難しくなり、遺族への引き渡しまで長期間を要することもある。
死因の調査は警察の捜査として行われる場合もあり、犯罪死体が含まれる可能性を確認する役割も持つ。死因分析は災害の実態を明らかにし、将来の防災対策を検討する資料にもなる。
災害時の医療
(1)災害時の医療活動
災害医療では救急医療が重要な役割を持つが、時間の経過とともに医療ニーズは変化する。
阪神・淡路大震災の際、神戸大学医学部附属病院に搬送された患者では、発災当日は外傷患者が大半を占めていた。しかし、2日目には外傷と疾病がほぼ同数となり、5日目以降は疾病患者が中心となった。
このように災害医療では、急性外傷から慢性疾患管理や生活環境に関係する疾病へと、医療内容が移行していく。
避難生活が長期化すると感染症や食中毒のリスクも高まり、衛生管理が重要となる。また、災害関連死では、新たな疾病よりも持病の悪化や常用薬不足が原因となるケースが多い。
水分不足は血栓形成を促し、脳梗塞や心筋梗塞の危険を高める。特に高齢者は、トイレ回数を減らすため水分摂取を控える傾向があり、注意が必要である。
さらに、車内などの狭い空間で長時間同じ姿勢を続けると、エコノミークラス症候群の発症につながる場合がある。
(2)災害時の感染症対策
感染症対策では、手洗い、消毒、マスク着用、換気、密集回避といった一次予防が基本となる。加えて、治療薬の使用による二次予防によって、重症化のリスクを低減できる。
ウイルス感染は全身感染として進行するため、治療薬を使用する場合でも身体を安静に保つことが重要である。安静が確保されなければ、重症化の抑制は難しい。
ワクチン接種後の副反応としてはアナフィラキシーが知られているが、接種後数日経過してから体調変化が生じる例も報告されている。高熱が持続する場合などには注意が必要とされる。
手洗いでは石けんの種類よりも、汚れを物理的に洗い落とすことが重要とされる。アルコール消毒は濃度が重要であり、一般に70%前後で高い消毒効果が得られるとされている。
マスクの防護効果は素材によって異なり、不織布マスクが最も高い効果を持つとされる。布製マスクを使用する場合は、不織布を重ねるなどの工夫が望ましい。
エコノミークラス症候群は、長時間座った姿勢のまま下肢を動かさない状態が続くことで発症する。脚の静脈に血栓が形成され、その一部が血流に乗って肺の血管を閉塞すると、呼吸不全を引き起こす。災害時には車中避難などで同じ姿勢が続くことがあり、発症要因となる場合がある。
4.医療補助器具の重要性
眼鏡、補聴器、義歯、杖などの医療補助器具は、使用者にとって日常生活に不可欠な存在である。これらは身体機能を補う役割を持つが、避難時に紛失するケースも少なくない。
こうした器具を失うと避難生活の負担は大きくなり、日常行動や食事などに直接的な支障が生じる。特に眼鏡や義歯は既製品で代替することが難しく、専門家による調整が必要になる。そのため災害時には、医薬品の確保だけでなく、医療補助器具も重要な生活支援物資として考える必要がある。
災害医療の3つのT(three T’s)
災害医療は、通常の救急医療とは異なる運用が求められる。災害時には、限られた人的・物的医療資源で多数の負傷者に対応しなければならないためである。
このような状況で重要とされるのが、次の「3つのT」である。
トリアージ(Triage)
トリートメント(Treatment)
トランスポーテーション(Transportation)
トリアージ
(1)トリアージの概念
トリアージはフランス語の trier(選り分ける)に由来する言葉で、傷病者を重症度や緊急度に応じて分類する医療手法を指す。
災害現場では医療資源が限られているため、すべての患者を同時に治療することはできない。そのため、救命可能性が高い傷病者を優先して処置する必要がある。
この判断は、数十秒から数分程度という短時間で行われる。
平常時であれば救命可能な患者でも、資源が極端に不足している状況では十分な処置ができない場合がある。これは災害医療の大きな特徴である。
また、トリアージは一度で終わるものではない。傷病者の状態は時間とともに変化するため、状況に応じて繰り返し実施される。
しかし、この考え方は一般には理解されにくい面もある。阪神・淡路大震災では、救急隊に対して亡くなった家族の救出を強く求める事例も多く報告された。
そのため、平常時からトリアージの考え方について社会的理解を深めることが重要とされている。
※トリアージは「誰かを見捨てる」ためのものではなく、「限られた資源の中で一人でも多くの命を救う」ための苦渋の、しかし最善の決断です。
(2)トリアージタッグ
トリアージの結果は、トリアージタッグによって表示される。タッグは紛失を防ぐため、手首または足首に装着するのが基本とされる。
特に配慮が必要な対象として
などがあり、英語の頭文字を取ってCWAPと呼ばれることがある。
東日本大震災以降は、妊婦の識別や色覚特性への配慮など、トリアージタッグの改善についても検討が進められている。
※本ページは、防災・減災に関する基礎的な情報を、一般の方にも分かりやすく整理したものです。
災害時の判断や行動は、地域や状況によって異なるため、必ず公的機関からの最新情報を優先してください
※本ページは『防災士教本(2025年度版)』(日本防災士機構)を参考に再構成しています。
